・4月の頭辺りから自宅作業が開始。流石に大分不安な面があったのでありがたや。
満員電車に乗る回数がかなり減るのもありがたい、コロナの騒動がなくとも満員電車はこちらの精神を削る感じがあるので…
なんとか状況が良くなったとして、今後の通勤はかなり早い時間帯にしようかな。起きれればの話ですが。
自宅作業の良いところはスピーカーで音楽が聴けるところ。
最近は音楽を聴くのは通勤の電車がほとんどだったのでイヤフォンで聴くばかりでした。
あんまり音量を上げると近所迷惑ですが、スピーカーから部屋を満たすようにして鳴らして音楽を聴くのは良い感じです。でも聴いていると作業進まないので結局止めることが多いのですが。
宅録を頑張りたいと思いつつも仕事があるのでそこまで進むという訳でもなく、亀の歩みで進めております。シングル的な一曲のみになるかアルバム単位までいけるかわかりませんがこの時期の記録として形にしておきたいところ。
・夜に普段観ない映画でもみるかーと小林正樹監督の「切腹」という映画を観たら非常に面白かったです。1962年の作品で白黒の江戸時代を舞台にした映画。
元々は武満徹が映画音楽を担当しているということで観始めましたが、物語も結構仕掛けがあって、昔の映画だと自分のような落ち着きのない人間は途中で飽きてしまうのではと思ったのですが面白く観られました。
平和で戦いがなく武士たちも浪人になって食い扶持に困っている時代の話で、浪人が偉い人の家に行ってその家の前で切腹させてくれ!と訴えます。一度、同様なことをして偉い人がその根性を見込んでお金をあげたりその家で雇ったりすることがあったので浪人たちが真似て切腹すると言って回るようになってしまったのです。
最初は残酷な笑い話のような話ではじまるのですが、途中からこの物語は復讐劇であることがわかり、さらに後半に壮絶な殺陣があることが想像される展開で、構成の妙と言いますか、溜まりに溜まったフラストレーションが終盤の殺陣で爆発するのはめちゃめちゃ面白いです。
武士道とお上には結局逆らえない感じとか、漫画のシグルイにも影響を与えてそうですね。
(切腹の主人公にも必殺技の構えみたいなのありましたし)
他にも観てなかった映画、ファイトクラブを観ましたが、観てみたら想像と違う全然内容でびっくり。
ずっとマッチョな男たちが殴り合いをして、男の生き方これっしょ!ブラピ最高っしょ!みたいな話だと思ってたら
ちょっと歪んだボーイミーツガール映画だった。
監督が「セブン」とか「ドラゴンタトゥーの女」のデビッド・フィンチャーなので、それを考えたら確かにマッチョな映画であるはずがないんですが。画面も暗めですし。
99年の公開なので20年近く勘違いしていた…、当時よくお笑い番組でパロディコントやってた気がしたけど映画観たことない人が印象で作っていたのでは…。
・人に会う機会も少なくなったのでバンドメンバーや友人たちとLINEのグループ通話やらZOOMなどで話してみたり。しかし元々話し上手でもない上にネットの不具合もあってワンテンポ遅れてしまうので会っているように話せるかといえばそうでもなく、マクルーハンの「メディアはメッセージである」的なことを久しぶりに思い出しました。
・やはり音楽関係はコロナの影響で厳しく、気になったお店のクラウドファウンディングを購入したりしてみていますが、どうしてもそれらは人気投票的な意味合いを持ってしまいますし、結局体力のないところは続けていくのは難しくなるかと。(毛玉がクラウドファンディングやっても集まらないようなものです、例えが卑屈!)根本的には国による休業補償が必要なのだと思います。
しっかり会社やお店が休業補償をもらえて閉められれば、病気の蔓延も経済への影響も少なくできるのではと素人考えで思うのですが…。後は医療関係、運送関係、スーパーやコンビニ関係などの止められない仕事をされている方には相応の手当をだすべきでそれも出せるのは余裕のある企業のみになってしまうので、これもやはり国で出すべきなのではないかなと思います。
そういえばやっぱり今の状況ではデモは難しいのでしょうか。
デモをするにしてもコロナの性質上、密集した行動は危険ですし、恐らく密集して騒ぐ行動は意見が異なる人からの非難材料となりうるのかも。
コロナ時代のデモは距離を空けて等間隔に並んで、飛沫感染の恐れがあるので声は出さず無言で佇む、という形になるのでしょうか。
とはいえそれだと勢いがなさそう。
なんともコロナは人間の勢いを封じるように良くできている。
ネット上でも例えばchang.orgで意見を同じくする案件に署名したり、
首相官邸ホームページには意見を募集するメールフォームがあるのでそちらに意見を送ってみたりなどのやり方があります。
ネット上のことがそこまで効果があるのかはわかりませんが、10万円給付も決まったりしましたし、多少の追い風にはなってくれるのではないかと。
意見や批判は良くないのではという考えもあるようですが、単純にひとつ国がありそこで大勢の人が暮らしていれば色んな境遇の人がいるわけなのでそれら一つ一つのケースに政治家が思いを馳せられるかというとそれは無理があるのでコロナの影響で自分はこういう影響を受けて苦境であり、こういうことを望む、といった意見を送ることは必要なことだと思います。(実際に苦境にある人は既にガンガン意見を送られてると思いますが)
そういえばツイッターで少し前に糸井重里批判がありましたが、単純に時代とそぐわなくなってきているのではという気もします。経済格差も広がって総中流社会ではなくなっているので丁寧な暮らしができる人は少ないのではと思います。糸井さん自身は言ってしまえば勝ち組的な面がありますしもう価値観を変える必要はないのでツイッターの意見もなんだかずれてる感じがしてしまうのかも。
今は多分、丁寧な暮らしを守るためにも、自分の考えを持って意見を言っていかなけれなばならない時代なのではないかなと。自分たちが政府に対してチェック機構になっていかないといけないでしょう。
次の選挙などでも個々人のイデオロギーは別として、投票率がもっと上がることを願います。
とりあえずまた5月にお会いしましょう!なんとか生き延びとくれ!