南米

・最近twitterもあるしどんどん長文を書かなくなってきており、
さらにtwitterも特にツイートすることが少なくなってきました。
普段パソコンで文字を打つことが多いので
どんどん漢字とか忘れていって書けなくなってきている。
せめて手帳ぐらいは手書きで書かないと何にも書けなくなると思って
手帳は汚い字で予定を書きなぐっております。
 
それはそれとして今度は長文がどんどん書けなくなってきているなと思ったりしまして、
今は告知はSNSが強くなってきているし、
逆にブログの方はあまり見ている人がすくないだろうしむしろ安心して
長文を書いてみるのもよいのではないかと思って
ちょっと今回は長文の練習をしてみます。
とはいっても何かの論考とかそういうものではないですが。
 
最近はなんとなく南米に心ひかれております。
とはいえ自分の南米のイメージとは
映画「皆殺しのバラッド」でかなり怖い方向に傾いていますんで
実際に行くことはあるのであろうか。

気になっていたのですが映画の上映期間は過ぎてしまい映画の本編は見たことがなく
エドワード・ヤン監督の「恐怖分子」を観に行ったら予告編で
この映画のものが流れていた、というだけなんですが。
「恐怖分子」も素晴らしかったのですが、
自分が結構間が多かったりBGMがない映画がみれなくなってきている感じに
気付かされたりしました。
字も書けなくなってきたし、長文も書けないし、ゆったりした映画が最後もまで見れない。
どんどん阿呆になってきています、これはまずい。
 
南米と言えばなぜかクレヨンしんちゃんの映画も今度のはメキシコ舞台。
麻薬王と対決したりはしないと思いますが・・
これはこれで観てみたい気も!

発端としてはやっぱりカエターノ・ヴェローゾでしょうか、
リーブロというアルバムが好きでよく聴いていますが、
60年代にカエターノたちが起こしていたムーブメント
トロピカリズモ運動の中ででてきた言葉、
「文化的カニバリズム」やらの言葉のかっこよさにも惹かれます。
 
アルゼンチンの作家マヌエル・プイグの本も少しずつ読み進めております。
「このページを読む者に永遠の呪いあれ」は読み終わって
「蜘蛛女のキス」の途中。
基本的にこの作家さんは文章をすべて
会話文で構成していて
鍵カッコがついていない文章がない、
という感じです。
実験的な手法を試したいというよりは
情景描写などが苦手だからこうなったんだとか。
元は映画作家志望だったとのこともあり
シナリオを書いている感覚にも近いのかもしれません。
小説としては会話文だけなんてとびっくりしますが
シナリオとして考えればそうおかしなことでもないのかもと思います。
 
様々な南米作家の短編を時系列に集めたラテンアメリカ傑作短編集も読んでみたり。
最初の方は貧しさであったりエネルギッシュな野蛮さがあったりする作品が多いのですが
時代が進むにつれ都会的な作品が増えていっています。
しかし逆に南米の都会的な街並みが自分のなかで想像できず
どこかヨーロッパとかアメリカの街並みで脳内再生されてしまいます。
ヨーロッパもアメリカも行ったことないですが視覚情報はなにかしら入ってきやすいので。
 
実際のところ南米に住む人々がどんな生活をしているかは良く知らないのであまりうまく想像できないですね、
東京にも南米料理のお店があるので今度行ってみようかな。
スーパーでアボカド買うとき産地は大体メキシコだな~、
オーストラリア産の時もたまにあるのですがあんまり美味しくなかった気がします。
アルゼンチン産のワインは安くて美味しいとも聞きます。
 
実のところ大した理由もなくこじつけで
南米南米言っているところもあるんのですが
(南米といってもブラジルとチリとかでも全然違うでしょうし)
そのうち一本の線のようなものに勝手につながったりすることもあるのかなと
思っている次第です。
後は最近観た映画のバードマンの監督はメキシコ人だったかと。
バードマンも良かったので過去の作品「21g」もみたり。
バードマンのもちろんほぼドラム演奏のみのサントラや
ワンカットのように繋がれていくカメラもとてもよかったんですが、
単純に黒い鳥男のビジュアルや、現実と妄想の区別が曖昧になる感じが
自分の勝手な南米観とリンクしておおぉとなりました。
 
今のところはなんとなく手早くまとめるキーワードとして南米を使わせてもらっている気がします。
もう少しすればなんらかの形になったりするんでしょうか。